こんにちは。すでに2025年が来てしまっているのですが、簡単に2024年の振り返りをしてから寝たいと思ったので、前年と同じく、簡単に振り返りをします。大学でやっていたことは変わらないのですが、その外でいろいろやったような年だったかなと思います。前年度いい感じだったので、自分のtwilogと、自分のcommit logをもとに振り返ります。
各月ごとに振り返り
1月
1月の大きめのイベントとしては成人式とそれに伴う同窓会がありました。自分は小学校と中学校で2回転校していて、普通の人のように全期間を同じ人たちと過ごしていたわけではないので、参加にあたっては若干不安でした。でも実際にはそんなことなくて、久しぶりに人に会うたびに覚えてくれていて、人生の中のいろいろな期間について思いを馳せることができる良い期間でした。大学で生活する中で交流する人がだいぶ限られてくるようになっていたので、もっと交友関係広げなきゃとも思った気がします。実際には、この後あったりすることはほぼなかったです。(若干はありましたが)ちなみに3回同窓会をやりました。1月で2年生の秋学期のテストも終わり、春休みに入ります。 開発的な意味では、未踏の方が詰めに入りつつあったので、それ関連のコミットがほぼ占めていました。このあたりは、ある意味やるだけだったので、ひたすら作っていました。
また、この頃からPFNのバイトも始まりました。これにフォーカスをあてて2023年にMLIRなどやっていたので、「ついにやるぞ!」って感じでした。実際内容はおもしろいことばかりで、今でも続けています。とても楽しいです。
2月
2月は春休みでした。あまり多くのことはしていないのですが、PFNのバイトをかなりの割合やっていました。週3くらいでやっていたと思います。その合間で未踏を進めたり、友達と会ってご飯にいったりしていました。また、Tech Circle ExpoでMLIRの発表をしたりしていますね。このときは発表時間が長くなりすぎたので反省です。 この裏で、シカゴ大学の留学の手続きも進めていました。英語のスコアを持っていなかったので、Zoomでシカゴ大学が用意するテストを受けることになり、Native Campでオンライン英会話をしたりしていました。がんばってやっていたのですが、フリートークが一番ためになっている感がありました。でもこれってVRChatでもできるので、結局長くは続けていません。
3月
3月もかなりPFNのバイトに軸足を置いていた気がします。とはいえ、それをベースに春休みなので、いろいろな遊びをしました。人生初スノボに挑戦しました。なんとか中級者コースを超ゆっくり滑れるくらいにはなりました。あとはサークル合宿にいったり、高校以来の友達と会ったりしました。ここではいろいろあったのですが、いろいろあったとだけ書いておきます。(未来の自分が何があったか思い出す用) あとは、2025年の抱負として、競プロをやること、とあったので、鉄則本をちまちまやったりしてました。ここで、バイトでC++を使うことになっていたということも相まって、C++20をフルに使う縛りでやっていました。rangesなどは使ってて楽しかったです。 3月の最後の方には新しい自作PCを作っています。もともと使っていたやつは高校同期のおさがりだったのでだいぶパワーアップです。30万くらいで見積もって、友達と一緒だったのでその場ののりで全部買って持ち帰り、その日徹夜で組み立てました。自作PCってパーツ選ぶのが楽しいですよね。とくに友達と一緒にやるとなおさらでした。でもなにも分からなかったので、店員さんに聞きつつ考えました。 大学生の夏休みらしくいろいろやったかなと思いますが、あまり目新しいことに挑戦した感はないですね。
4月
4月になり、大学3年生としての生活が始まります。履修登録の段階では、シカゴ大学の留学が確定していなかったので、かなりいろいろなパターンを考えたうえで生活指導の先生とも話し合いながら履修を決めた記憶があります。(これは3月の話ですが)結局3月末に受けた英語Zoomテストの結果行けることになります。このテストは向こうの人と本当に15分くらい雑談して終わって、全く意思疎通ができないとかはなかったので、受けた時にこれは受かったかなとは思っていました。 留学は春学期の後半のクォーターに被っているため、前半クォーターのみの授業しか取れませんでした。なので、かなりこの期間は暇な生活を送ることになります。バイトの方はというと、扶養が危なそうなことに気づき週1で入ることになります。4月は意外と何もしていないのかもしれません。留学先の教授と面談し、データベースについてやることとなり、事前知識として論文をいくつか紹介されたので、それをちまちま読んだりはしていました。あと鉄則本もちまちま進めていたと思います。 あとは、留学は「春学期後半クォーター」の後半から開始だったので、それまで1ヶ月の空白期間が開くことが確定したので、上海を旅行することを決心し、ビザの申請のために、お台場のビザセンターに3回くらい行きました。同時並行でアメリカビザの面倒くさいフォームも埋めてました。
5月
5月も見てみるとほとんだ大学以外なにもしていなさそうです。なんだかんだクォーター末だったので、課題とかに追われていたみたいな様子があります。あとは、留学を見越して、データベース関連の知識をみにつけるために、CMUのIntro to DB SystemというYouTube上の講義をちょっとずつ見ていました。とくにこれといったイベントはなさそうです。
6月
6月はかなり激動でした。クォーター末の試験が4つくらいあったのですが、その前後でアメリカ大使館のインタビューを申し込んでいました。そしてその直後に上海に渡航することを完全に忘れていて、「やばい!ビザのためにパスポート預けたら上海行けないじゃん!」ってなってました。インタビュー自体いも直前になってめちゃくちゃ緊張していました。ただ、インタビューはなぜか全部カタコトの日本語で質問されたので、それに英語で答えたら楽勝でした。その後、上海旅行の詳細を説明して、急遽3日後くらいまでにビザのスタンプをつけてもらって、中国渡航前日に大使館にまた行ってパスポートを回収できました。この間は本当にドキドキでした。上海渡航はまだしも、アメリカのビザが取れなくなると留学自体に影響が出るのでかなり焦っていました。旅行自体も、友達といっしょに回る予定だったので、そちらにも影響が出ないか心配でしたが、なんとかなりました。 上海旅行自体はかなり良かったです。昔住んでいたので、自分の人生の聖地巡礼をしてきました。小学生のときに住んでいたマンションや、通っていた学校を見たり、その周辺の街を自転車で回ったりしました。懐かしの観光地で、懐かしのご飯を食べたりもしました。街の様子自体はかなり変わっていたのですが、自分のアイデンティティのかなり大きい部分はここで育てられたなというのを感じて、なんだか不思議な気分になっていました。また、父親と2人で回る時間も多かったのですが、父親と2人で旅行するのも稀だったので、じっくり話すいい機会でした。 上海旅行の合間、「アメリカ留学本当に大丈夫かな。。。」という不安の同時に大きくなっていました。とりあえずCMUの講義を見て英語に慣れつつデータベースの知識を取り入れて、メンターの教授の講義動画をひたすらリピートして、せめて教授の英語だけでも聞き取れるようにしようとしていました。 日本に帰ってからさらに不安は大きくなり、そわそわしつつ、7月に突入します。 実はこの直前、友達との山手線一周に誘われて、山手線一周ウォーキングもしました。後半クォーターで大学にいかなくなり、友達と全く会っていなかったので、久しぶりい会って不思議な気分でもあり、留学前のしばしの別れのあいさつをする機会にもなりました。
7月
7/1はついにシカゴに向けて出発する日でした。飛行機で眠るために、当日の0時から起きて、シャワーを浴びてから成田空港に向かいました。母親が見送りについてきてくれて、時間もあったので、すこしゆっくりしてから、保安エリア?に入りました。その後、すこしして、飛行機に乗り込みました。 飛行機はANAだったので、アメリカにつくまではほぼ日本でした。ただお客さんはアメリカの方が多く、英語が飛び交っていたのでさらに不安になっていました。ずっと起きていたことも功を奏し、着陸前にはなんと寝ていました。食事のたびに起こされつつ、ほぼ寝ることができました。(CAの方に、留学なんですね、頑張ってくださいって言われたのが超嬉しかった)着いても飛行機内はほぼ日本で、デッキをわたって空港の入国審査の部分に到達するまでは日本の気分でした。しかし、その後英語のアナウンスと、英語の案内と、英語の看板しかないのを見て、ようやくアメリカにやってきたということを実感したのを覚えています。その後T-Mobileのesimと格闘しつつUberで大学まで行きました。最初、寮の受付の方が超ゆっくり喋ってくれているのに、聞き取れなくて絶望していました。 留学はまずオリエンテーションから始まり、なんもなく急に研究が始まりました。(参加したのは研究プログラムです。)大学自体は夏休みに入っており、最初ミーティングはZoomでしていました。字幕が付けられるので活用しつつ英語の会話にも慣れていきました。教授の方がかなり手厚く始めのうちは毎日ミーティングを設定してくれていたので、かなり素早く馴染めたと思います。研究内容も、いままでの自分のRustの経験を活かした内容を一緒に考えて進めていきました。生活面では、とにかく食費が高くて困っていました。フードトラックなどで買うと、最安で$8のブリトーとかだったので困っていました。土日はどう過ごすのかは自由なのですが、同じプログラムで仲良くなった中国人の友達か、日本人の友達といろいろなところに出かけました。研究も良かったのですが、観光もかなり楽しんでいました。寮は共同キッチンがあったので、8月に差し掛かるころには、スーパーで食材を買って自炊にもチャレンジしていました。
8月
留学は2ヶ月です。8月に入ると留学も後半戦になります。平日はほとんど研究室で作業し、土日は観光するという生活を送っていました。日本では、大学自体が遠く、授業もあるので、研究するにはこれ以上にない環境だったと思います。Zoomでのミーティングはほぼ不自由なくできるようになった一方で、対面での会話は苦手なままでした。とくに水曜日は研究室メンバーでランチミーティングだったのですが、話についていけず、話を振られても、なんとか答えるという感じでした。留学全体を振り返ると、経験としてはかなりよく、観光としてみてもかなり良かったが、ずっと住むのは嫌だな、と思いました。これは言語の壁と、食文化の差をとくに大きく感じました。英語自体はもっともっと勉強する必要があるなと思いました。 留学期間を終える一週間前に、急遽ボストンとニューヨークに寄って観光してから帰ることを決めました。これはかなり良い決断だったと思います。ボストンでは、リモートで共同研究をしていたMITの方にMITを案内してもらいました。実際のPh.Dのオフィスなどを見ることができて、かなり貴重な体験だった気がしています。ボストンで有名なロブスターを食べたりもして観光としても楽しみました。ニューヨークでは一人で観光する日と、留学で知り合った日本人の友達と観光する日の2種類の日程がありました。ニューヨークもかなり楽しめました。この旅行期間を通じて一番痛感したのは、自分は一人旅行に向いていないということです。こんなにも貴重な場所に来て、貴重な体験をしているのに、1人だと感想を共有できなくて、無言で体験するだけになってしまう、という思いがあり、自分はいろいろ体験を共有して初めて満足するんだなと実感しました。
9月
留学から帰ってきて9月になりました。日本の大学的には、夏休みが1ヶ月残っているので、この1ヶ月は夏休みでした。留学から戻ってくるとすぐにサークルの合宿に参加しました。サークル合宿では夜ふかしするのが恒例だったのですが、時差ボケでめっちゃ早く寝て4時くらいに起きて散歩したのを覚えています。また、情報科学若手の会にも参加しました。これが初参加だったのですが、かなり参加者との親交を深めることができる会でとても良かったです。 留学で中断していたバイトもメンターの方と連絡し、再開しました。 留学自体は終わっていたのですが、研究内容を論文にまとめるために、週1でZoomミーティングは行っていました。時差で月曜日の夜だったので、少ししんどかったです。日本に帰ってきてからの自分の怠惰さというのも感じました。論文もちまちま進めつつ9月は終わりに向かいます。
10月
10月からは3年生秋学期が始まりました。10月始めのイベントでかなり良かったのは、「暴力的にかわいい」という、DJイベント(?)です。「行きたーい!」とてきとうに言っていたところ、友達数人が一緒に参加してくれることになり、一緒に行きました。かなり良くて、これ以後自分の聞く音楽も少しだけEDM寄り?になった気がします。来年も参加したいです。 大学自体はというと、春学期後半クォーターを全く取らなかったツケがここにきてふりかかり、かなりしんどい時間割でした。水曜日をバイトのために全休にしたため、土曜日まで授業が入ってしまいました。 また、論文の締め切りが10月中だったので、締切直前はかなりギリギリの生活をしていました。 論文をとりあえず提出した10月後半は、かなり開放感が高い状態でした。研究室決めの時期になり、いろいろな研究室を訪問しました。 また、このころから学園祭を念頭において、新しい独自言語のコンパイラをまたMLIRで作り始めています。
11月
この月はかなり自由な月でした。研究室見学に行き、帰る時間が遅くなることも多く、あまり新しいことをしていません。ただ学園祭というイベントは大きくありました。あとは金曜日の5限が全員出席必須の授業なので、その後ご飯に行くことが多くなっていました。(おそらくこれは10月から)あまりこういうのはやってなかったのですが、かなり楽しいことに気が付きました。 他には12月頭にTOEFLを受けることが確定していたので、英語の勉強もしていました。とはいえ全然やる気がでなく、単語の勉強を単語帳とAnkiで並行してやりつつ、Netflixでハリーポッターシリーズをひたすら英語音声英語字幕で見ていました。
12月
まず最初にTOEFLを受けました。結果は思ったよりも良かったので満足しています。他には研究室が決まって安堵している時期でもありました。一方で頑張って書いた論文がRejectされてかなり悲しい気持ちになっていました。12月中は目をそむけていたのですが、2025年からはちゃんとやります。12月は飲み会をたくさんやりました。サークルの忘年会をノリで企画したのですが、かなり楽しい会になって勝手に満足していました。
2024年の目標の達成度
- 鉄則本を全部やってある程度競プロできるようになる
- 自分が知らない分野、ネットワークとかセキュリティとかを1つ選んで「完全に理解」する程度はやる
- 人脈を広げる
- 英語をやって英語力高める。特に単語力とリスニング力。
- イベントに参加する。
- 研究室をある程度定めて、それを深める。 今のところコンピューターアーキテクチャかOSやりたい。
- △ある程度はやったが全部はやってない。少しだけアルゴリズムに詳しくはなれたのでまあよし
- xネットワークの授業である程度は知ることができたが能動的にはできていない。ネットワーク以外の未知分野もそう
- △成人式では、普段関わらない人とかなり話したが、一回きりの人が多い。でも少しは広がったかも。
- o 留学に入ってリスニング力はある程度ついた気がする。TOEFLでかなり単語も覚えた。
- o 若手の会など、いままで参加していなかったイベントにも参加してかなり良い体験をした。
- x 研究室を決める前から先取りすることはしなかった。
2025年の抱負
来年からは研究室に入ります。さらに引っ越して一人暮らしも始める予定なので、かなり今とは生活環境も変わりそうです。そんな2025年の目標は以下です。
研究室の人たちと別け隔てなく仲良くなって楽しく研究室に通えるようにする
一人暮らしを通じて生活力をつける。自炊を頑張る。
- 人脈を広げる。今まで固定の友達が多いので、研究室を機にもっと広く人脈を持つ。あわよくば、その外にも。
- 留学の研究に決着をつける。どこかに論文を通す。
- ちゃんと卒業する。3年生春後半の必修は4年生で回収できなければ卒業できない。
- 将来についてちゃんと展望を持つ。いまはぼんやり生きているのでそれはそれでいいけど、卒業後のことも考えたい。院には行く。
おわりに
なんだかんだ、1:30から書き始めたのですが、3:30くらいになってしまいました。分量も想像以上に多くなってしまいました。ここまで読んでいる人はいるのかな。いたら教えて下さい!ありがとうございました。